地昭42.03.29|恵庭事件.違憲判断回避

恵庭事件(えにわじけん)とは、北海道千歳郡恵庭町(現恵庭市)の住民が自衛隊法第121条違反に問われ、自衛隊法が日本国憲法第9条に照らして違憲であることが争点として注目された刑事事件。
概要 [編集]

北海道恵庭町で、自衛隊演習場の近隣で酪農を営み騒音により牛乳生産量が落ちた二人の兄弟が、「境界付近での射撃訓練については事前に連絡する」と自衛隊と確約していた。しかし、自衛隊にその確約を破られたことから、1962年12月に自衛隊の着弾地点との通信回線を切断した。
これに対し、検察は通信回線は自衛隊法第121条の「その他の防衛の用に供する物」に該当するとして防衛器物の損害(自衛隊法第121条)で起訴。

第1審の札幌地方裁判所の1967年3月29日判決では通信回線は自衛隊法「その他の防衛の用に供する物」に該当しないとして、被告人に無罪を言い渡した。自衛隊の憲法判断に関しては、被告人の行為無罪である以上、憲法判断を行う必要はなく、また行うべきでもはないとして、これを回避した。
検察は上訴をせず、また無罪となった被告人は訴えの利益がないとして上訴できないため、無罪が確定した。

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恵庭事件(えにわじけん)
自衛隊法が民間人に適用された初の事件であり、4年間の全訴訟過程において自衛隊(法)の合憲・違憲が争われた。1962年(昭和37)12月11日北海道石狩支庁(現石狩振興局)管内の恵庭町(現恵庭市)の自衛隊島松演習場内で、牧場経営者野崎兄弟が演習用通信線数か所を切断した。演習場付近ではすでに1955年以来ジェット機の射撃訓練、大砲実弾演習によって難聴や家畜の乳量・受胎率低下などの被害が続いており、野崎兄弟はたび重なる抗議のすえ、万策尽きてこの挙に出たものであった。

事件は当初通常の器物損壊事件として捜査されたが、1963年3月札幌地検が自衛隊法第121条違反(防衛用器物損壊)として起訴するや、自衛隊の違憲性を問う裁判として注目を集めた。以降、判決まで40回にわたる公判で、多数の憲法学者と400人に及ぶ大弁護団が自衛隊違憲論を展開し、地裁の憲法判断が期待された

しかし1967年3月の判決は憲法判断に触れず、両被告の行為が自衛隊法第121条の構成要件に該当しないとして無罪を言い渡した。検察側の控訴放棄で判決は確定したが、新聞は「肩すかし判決」と評した。

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